自分の家を自分で設計するとき、誰しもが自分の建築的な好みについて一度は考えることだと思う。僕も同じことをした。
カーンが好きで、力強い空間と粗い素材の中に、柔らかな素材のヒューマンスケールな居場所がそっと挿入されている、エクセター図書館が特に好きだ。ズントーの建築は全部見に行くくらいに憧れている。抑制された光の心地よい感覚に心が震えた。あの時代のスイスの建築はどれも好きだし、イタリアに行けばスカルパに興奮し、特にカノーヴァ美術館の白がハレーションしたかのような空間は誰にも勝てないと思った。白といえば、シザの建築は絶対に言語化できないと思うほど好きだ。なんとなく、素材感が強いか真白、造形としては禁欲的、光は絞られている方が好きだと思う。そんな空間に住めたら良いなと思って、敷地が決まった段階で、一気に設計を終わらせた。できた設計案は暗いグレーを基調とした四角い箱に白いボックスが入れ子状に挿入され、数箇所設けられたハイサイドライトから、抑制の効いた光が生活を劇的に演出している。完璧だ、これが建築家・立石遼太郎の建築だ!と思い、意気揚々とパースを妻に見せた。「団欒がない」という一言で片付けられてしまった。
妻の一言で、僕がそれまで自邸だと思い込んでいた設計対象は、妻の自宅でもあったことに、初めて気づいた。よくよく考えると多くの人にとって、家は誰かに設計してもらうもので、そうしてできた自宅は施主にとって100%満足のいくものでもないかもしれない。けれど、気に入った家具を置き、日々掃除をし、傷が付いたら補修して、時には大きく手入れをしながら付き合っていくうちに、家はいつしか自宅と呼べるものになるのだろう。その時間はとても慈しみがあると素直に思った。
僕の自邸ではなく、妻の自宅、家族の自宅、あるいは僕らが死んだ後も、誰かの自宅と呼ばれる家のほうがいいな、と思った。同時に、僕の自宅と呼べるものになればいいな、とも。そのためには月並みな言い方だけれど、僕の手癖から離れる術=他者が必要だと思った。
妻はどちらかと言えば共同設計者だ。(一緒に洗面器やタイルなんかを選んだ時間は楽しかった。)誰かに設計をお願いすれば、多くの人と同じように、どこか他人のようなフリをした自宅ができるけど、19歳から35歳になるまで建築設計の勉強をしてきた時間を考えると、さすがにそれはないかなとも思った。果たしてどうするべきか、しばらく悩んだ。
28歳のとき、修士制作で書いた『静かなレトリック』を思い出した。そこで考えたことをかっこつけて言うなら、修辞学という学問領域にしたがって建築物を見てみれば、建築家の意図とは関係のない、建築そのものを見ることができるのではないか、ということになる。だけど本心では、クロロの建築への応用を試みていた。
クロロとはHUNTER×HUNTERに出てくるキャラの一人で、彼が使う念能力「盗賊の極意」は、相手の念能力を盗んで自分のものにすることができる。能力はクロロが持つ本に収められる。能力を使う際は本を片手に持ち、常に能力が収められたページを開いておく必要がある。片手は使えなくなるが、使い方によっては作中最強のチート能力であることに間違いない。だけど、敵の能力を盗むためには①相手の念能力を実際に目で見る ②相手に年に関して質問し相手がそれにこたえる ③本の表紙の手形と相手の手のひらとを合わせる ④上記1~3を1位間以内に行う という4つの条件をクリアする必要がある。念能力は個人の性質や思いを色濃く現し、それが強ければ強いほど、能力はより強いものとなる、という描写が作中に描かれる。たとえばクラピカは鎖をスケッチしたり、鎖を噛んでみたりする。キルアは幼い頃から電撃を体に浴びてきた、つらい過去がある。しかしクロロの条件は、そうした個人の性質や思いをすべて無視している。これが本当にすごい。クロロなりに能力を解釈して、クロロなりの使い方をする。『静かなレトリック』は盗賊の極意のように、相手(建築家)の意図や思いとは無関係に、修辞学という解釈で、修辞学なりの答えを出してくる。これはチートだと思った(どうでもいいけど、盗賊の極意はスキルハンターで、英語にするとskill hunter。sを除けばハンターをkillするとも読め、念能力を奪うということは生死とは関係なく、ハンターという職業をkillできるというところもめっちゃいい)。
あろうことか、僕が31歳のとき、クロロの能力はさらに進化を遂げる。いくつかの困難な条件を経れば、本を閉じたままでも能力を使うことができるようになった。これで両手が使えるようになる。さらに栞を挟めば、挟んだページの能力を使うことができるという栞のテーマという能力まで発動させている。能力を2つ使うことができるというわけだ(どうでもいいけど、盗賊の極意と栞のテーマ、本を開いたページの能力、栞を挟んだページの能力を使うと言う意味で、4つの能力を同時に使うことができる)。チート能力がさらにチートとなって、作者がジョーカーと評したヒソカを圧倒していく。能力を掛け合わせて使う以上、もはや読者に何が起きているか把握させるのを諦めさせるような、少年漫画史上最も難解なバトルシーンが描かれる。その複雑さや難解さにとても惹かれた。ひとつひとつの能力は理解できるにも関わらず、それが2つ(4つ)になるだけで何が何だかわからなくなる。シンプルさと複雑さが同居している。当時、そんな建築を作ってみたいと思った記憶が、静かなレトリックはクロロだったという記憶とともに、団欒を求められた僕のもとに蘇ってきた。
クロロのように一つ一つはシンプルだけれど、それを重ねることでできる、極めて複雑な建築はできないだろうか。そのシンプルさと複雑さが、僕の好みを超えた団欒の世界に、少しだけ他者が入り混じった自宅の世界に、僕らの家を連れて行ってくれるのではないか。何が正解で何が正解でないかはわからなけれど、ずっと解釈し続けられるような時間を過ごせるのではないか。
他人にとってはどうでもいいことかもしれないけれど、僕は僕の住む家を自邸だとは思っていない。自邸は団欒の外に閉じ込められていると思っている。今住んでいる家は、これから時間をかけて自宅になっていくのだろう。自邸よりも自宅の方が自然で、時間を内包している気がする。これからそんな家になっていけばいいな、と思っている。