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7つの形式

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7つの形式をピッタリと重ねた三次元的な何か

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北鎌倉にて、解釈し続けるためには

 

 誰に求められるわけでもなく、自分で自分の自宅をつくるなら、自分の意図を隅々まで張り巡らせた家ではないものに住みたいと思った。どこを見ても腑に落ちないが、言い換えると解釈を永遠に続けられるようなものをつくりたいと、そのように考えた。

 

 解釈とは、目の前の物事に、自分なりに納得のいく説明がつくように理解することである、としてみよう。例えば空が青く見えるのは、光のスペクトルのうち空が青色のみを反射するからだ、と理解することが、解釈であるとしてみる。批評はその解釈を他人に伝えたものだとすると、こと建築において、「最も単純な批評」は次のようなプロセスで行われるだろう。

 実際に建築物を見て、そのディテールや素材を観察する。実空間や図面などから、そこに敷かれたある特定の幾何学(多くの場合はそれを図式や形式という)を発見する。建築物が作られた目的(つまり施主要望や敷地条件などの与条件)をヒアリングする。ヒアリング結果と、これまで行なってきた「詳細、素材の観察」と「図式・形式の発見」を統合し、設計意図を推察する。その設計意図が建築の歴史や社会情勢においてどれだけ有効であったかを測り、実空間の素晴らしさを褒め称えることも忘れずに、最後にそれらを適切な言葉に置き換える※1。これらの多くは主観であるが、第三者にとって腑に落ちるものとなっていれば、それを批評と呼んで良いのではないだろうか。

 批評においては図式・形式の読み解きが最も重要である、と僕は考えている。図式・形式とは、平たく言えば「建築に用いられた幾何学」とも言えるが、こと建築においては、図式・形式は特定の意味を持っている。例えば円は求心性を意味し、田の字平面は廊下を廃し空間同士のダイレクトな結びつきを意味している。このことに特に異論はないだろう。図式・形式は建築の共有言語だと言っても差し支えない。したがって先ほどの簡単な批評の構造を見ても分かる通り、図式・形式は「設計意図と実空間の糊代」となる。素材と空間構成からすべての意図を読み解くのは不可能であり、設計意図からダイレクトに素材や空間構成を引っ張り出すのも芸が細かすぎることを考えると、そこには必ず形式・図式の読み解きと、それらの意味の見出しが必要になる。少なくとも自らの解釈を、第三者に理解してもらう=解釈を批評にするには、共有言語への深い理解がお互いに必要であろう。

 

 冒頭に戻る。この住宅は、批評のためにつくったのではない。あくまで僕が解釈し続けられることを目的につくった。ありきたりな表現で言い換えれば、解釈をひとつに定めることを避けたかった。したがって、解釈をひとつに定める要因となる設計意図は、自宅には不要だと考えた。「意図のない決定の連続だけでできた建築物」が、永遠に解釈をし続けることを可能にする、そう考えた。

 一言で言えば、「設計意図と実空間の糊代」となる図式・形式に着目し、その糊を落とすような作業を行なった。設計意図からも実空間からも独立した図式・形式が、建築物の解釈にどのように作用するか、それを確かめるために進めた作業を以下に示す。

①与条件の整理

与条件を整理することをあきらめた。職能上、与条件を整理すると、設計意図を考えたくなってしまうからだ。

②図面や模型でのスタディ

手っ取り早くできる図面や模型での検討を避け、ノンスケールの検討を行い、スケールやプロポーションに意図が生じないように努めた。

③素材の決定

どのような建築物をつくるか、その全体像は出来ていないが、とりあえず素材を決めて仕上表をつくった。仕上表から意図が消えるよう、具象とも抽象ともつかない、匿名的な素材を選んだ。できるだけ単一の素材で空間を覆ってしまうのが、解釈をひとつに絞り込むことを拒む最もよい方法と考えた。先に仕上表を完成させることで、図式・形式と素材の関係は切れると考えた。

④形式の決定

頭の中で図式と形式を思いつくままに思い浮かべた。朧げながらに浮かんできた7つの図式・形式※2、すなわち「段床」「三廊式」「門型」「フィンガープラン」「入れ子」「方形」「スプリット」を、頭の中で同一平面・同一立面・同一断面で重ねてみた(つまり三次元的にピッタリと重ねた)。7に意図はなく、46でも良かったのだが、本当に朧げながらに浮かんできたので7で止めた。

⑤モデリング

結果としてできた7つの形式を重ねた3次元的な「何か」をモデリングしてみた。モデリングをすることで、複数の形式がうまく重なって絶妙な効果を生み出せそうな部分や、実空間にしたときに絶対に使えなさそうな部分を見極めることができた。前者の線は残し、後者は消した。ここには意図はないが理由はある。スプリットの角度は、隣の家との関係で決めた。これは意図かもしれないが、まぁ必然であったように思う。高さ寸法は43の倍数とした。ここにも特に意図はない。自宅は資産だから43、というダジャレが、強いて言えば理由だ。

⑥レンダリング

あらかじめ決めていた仕上表にそってモデリングに素材をあてはめる。ひとつひとつの形式が、素材によってその姿を表面に表したり消えたりするかを見極めていく。

⑦辻褄合わせ

最後に、この3次元的な「何か」を現実世界に生み出せるように、法規・予算・使い勝手などの諸条件に適合させるべく、ひたすら辻褄合わせを行なった。⑤モデリングや⑥レンダリングで行なった線を選択する作業も、形式の重なりによって生じた辻褄合わせであることを考えると、一連の作業自体が、意匠設計をするというよりは、ひたすら辻褄合わせを行なっていくことであった。

⓪構造設計

こうしたプロセスの適切なタイミングで、構造設計者である金田泰裕さんと打ち合わせを重ねていった。構造的に成立するように辻褄合わせに加担していただき、7つの形式に対して60・90・105・150の4つのメンバーの柱を用意していただいた。ひとつひとつの形式が形式として形式として成立するよう、異なる柱メンバーを形式ごとに当てはめていった。例えば、「方形」を支える柱は150とし、隅棟に対して合理的な角度となるように、壁に対して平面的に45°振った。「三廊式」にあてはまる柱は105角とし、「フィンガープラン」にあてはまる柱は90角とした。「門型」は両者に引っ張られる形で90と105が混在するが、壁梁として必要な壁厚は90で成立するため、壁から105の柱は一部飛び出ることになった。「入れ子」は60角とし、たまたまそれが外壁を構成することとなった。

 ①~⓪をまとめる。あらかじめ設計意図を設けなかったが故に設計意図と形式の結びつきを切断した。仕上表を先に作ることで素材・スケールといった実空間と形式の結びつきを切った。結果として、理論上は三次元的にピッタリと重なった、7つの形式が実空間から独立して存在することになった。あくまで理論上の話である。もちろん、重要なのはこのプロセスではなく、7つの図式の戯れと、その戯れを実空間に引き留める辻褄合わせの連続の結果として出来上がった、実空間としての建築物である。

 美しいのか、豊かなのか、好ましいのか。デザインとして成立しているのか破綻しているのか、住みやすいのか、そうでないのか。何の意味があり、何の効果があり、社会的にどうで、歴史的にここに接続する……。こうしたことを拒んでいるようで、時折、その評価を受け入れるような、何とも言えない(解釈の難しい)建築物が出来上がったと思う。素材や形が7つの形式それぞれに接続代を持つがゆえ、解釈はどの形式に当てはめてみても正しいし、間違っているとも言える。複数の形式を三次元的にピッタリと重ねる、という試みがもたらしたのは、建築のどの部分をとっても、どこかの形式に当てはめることができる、ということのみが、とりあえず今の僕が自宅に行える唯一の批評である。

 人は自分が知っている考え方の枠組みの数の分、ひとつの物事を多角的に見ることができる。雑草を、ガーデニングの視点で見る、植物学的に見る、生態系の一部として捉えることは全く異なることであり、そのどれもが解釈であり、正しいかどうかは全く関係がない。多様な解釈を許すためには、物事を多角的に見る必要があり、その枠組みの多さを自由と呼ぶのだろう。

 

 形式を建築を見る枠組みと考えたときの自由さのため、ひいてはまだ見ぬ解釈のために自宅をつくった。身体的に響く空間の喜びがあるかどうかは各々の判断に任せるとして、少なくとも僕にとっては、いつまででも解釈し続けられるような自宅が出来上がったと思う。

※1

最も単純な設計は、最も単純な批評の逆回しでできる。すなわち、与条件を整理・統合し、設計意図をまとめ上げ、それに相応しい形式や図式を当てはめるか、組み合わせるか、なにもなければ新たに開発して、余分な意味が生じないように慎重に、適切な素材を流麗なディテールで組み上げていく、というプロセスを辿ればよい。

※2

図式・形式。これらの言葉はいずれも、「建築物をかたちづくる際に、特定の幾何学形態が顕著に見られるとき、その幾何学形態それ自体を指す言葉」だと理解できる。以下は、あくまで個人的な言葉の定義であるということは断っておくが、

図式:建築物をかたちづくる際に、特定の幾何学形態が顕著に見られるとき、この幾何学形態それ自体

形式:図式のうち、特定の効果を持つことを認められ、再帰性のあるもの

と考えている。ちなみにここに様式を加えれば、

様式:形式のうち、特定の地域や時代に顕著に再帰性がみられるもの

となるだろう。

包含関係としては、図式が最も広く、形式が図式の中に含まれ、様式はさらに形式の中に含まれる。

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